目の前のこの人が今何を言っているのか分からなかった。
少なくとも、理解するのに数秒は掛かった。
色々な形の意味にとれるニコルの言葉を、どう捕らえて良いのか分からない。
今は彼すら分からない。
彼の事情、彼女の事情・5
「ニコル・・・さん?」
ニコルの表情を伺うようにして見るの顔が自然に強張る。
彼と出会ってから数日しか経っていないけれど、こんなニコルは見た事が無い。
少なくともが知っているニコルは何時も穏やかで、優しい。
場の雰囲気を和ませる役だと感じていた。
彼は黙っている。その時が永遠にも感じられる。
その間の沈黙の痛さと重さは、が耐えられる状況ではなかった。
「・・・なんて、冗談言ってみただけですよ」
この重い雰囲気をかち割るかのような拍子抜けした声で沈黙は破られた。
少しだけ呆気に取られたは、それでも直ぐに表情を元に戻す。
今のニコルの一言は良かったような、悪かったような。
それもは良く分からない。
「確かに、イザークとクレアは仲良いですよね。さんの前の壁は高いと思いますが、僕は応援してますんで」
「あ、有難うございます!」
「応援している」と言われれば少なからず喜びが込み上げてくる。
壁は高い。頂上が見えないくらい、とても。
乗り越えようとも思わないし、それは出来ない事だろうと思う。
だけど、自分が納得行く所までは頑張っても良い気がした。
相思相愛な二人を少しでも邪魔してはいけない。
せめてイザークを遠くから眺めていられるだけで良い。
それで自分が納得いくのなら。
「あ、それと僕に敬語なんか使わなくて良いですよ。僕よりさんの方が年上なんですから」
「いや、軍人の端くれでも最低限守らなければならない事はありますよ!」
「じゃあ、命令です。僕には敬語を使わないで下さい。後、呼び捨てで」
「んなっ・・・・!?」
「最低限というのは先輩の言う事を聞く、ってのも勿論入っていますよね。軍人の端くれさん」
にこっと表面上は優しい笑顔のニコルを見て、は初めて裏表のある人物を目にする。
こういう人は敵に回すと厄介だ。本能がそう語っている。
そして今まで自分に向けてきた笑顔や優しさは一体どっちなんだ、と考えると少しだけ寒くなる。
もうこれ以上その事を考えるのは止めておこう。
「こ、此れはせこいですよ・・・!?」
「敬語は使わないで下さい」
「・・・せ、せこい!!」
はたかが一言にこれだけの力を使った事が無いので些か疲れた。
今まで敬語でさん付けで呼んでいた人物をいきなり、俗に言うタメ語で、しかも呼び捨てはなかなか出来ないだろう。
出来たとしてもすごく痒い。
「あ、それと」
「え?」
「これからは何かあったら、何でも僕に相談して下さいね」
「あ・・・・」
有難うございます、と続けようとしてはっと止まる。
タメ語、タメ語。
「・・・あ、有難う、ニコル」
何だか、少し照れくさい。
たった一言にこんなにも緊張を感じるなんて初めてだ。
だけど、その時見せた少し切なそうなニコルの笑顔は気のせいだったんだろうか。
ニコルと別れた後、は一人で廊下を歩く。
そう言えば何時の間にか涙は乾いて固体となっている。
ニコルには何か不思議な魔法があるのかもしれない、と非現実的な事を考えていた。
「あ・・・!!」
後方から自分の名前を呼ぶ声が聞こえる。
振り向けばそこには、無重力を利用してふわふわと此方に移動して来るの姿があった。
表情は何処か慌しい。何かあったんだろうか。
「どうしたの、?」
「た・・・大変!!お、落ち着いて聞いてね!?」
「あ、あたしの前にが落ち着いてね?」
「あ、う、うん!」
落ち着いて聞いてと言ってるの方が落ち着いていない。
ぜぇぜぇはぁはぁと息を切らすの呼吸のリズムが落ち着くまで、は暫く待った。
こんなに急いでいるのだから、報告の内容は大きいのかもしれない。
誰かの好きな人かな?とか呑気な事を考える。湧き出す好奇心は止められない。
が、次のの一言でそれは停止させられる。
「イザークさんとクレアさん・・・婚約破棄したって・・・!!」
ピシッと効果音が付くような状況だった。
婚約破棄?
それは、婚約を取り消すという事?
何故?
あの二人はあたしの手が届かないほど高い場所に居るのに。
それに、あたしはさっき見たんだ、二人がキスしている所を。
そしてニコルに宥めてもらっていたのに、どうして。
「う・・・嘘だ?」
「う、嘘じゃない!本当!!だ、だってあたし、さっき聞いたんだよ・・・!!」
「え・・・・!?」
「さっきそこの廊下を通ったらクレアさんが居て泣いてて、隣には友人が居て、それで・・・」
婚約破棄、されたの
「あの言い方じゃ、どうもイザークさんの方からっぽいけど・・・よ、良かったね、!これで愛の障害は無くなったし!!」
「う、うん・・・・」
本来ならこれは喜んで良かったのかもしれない。
だけど、は素直に喜びの声を上げられない。良かったとも思えない。
どうしてなんだろう。少なくとも数日前のならそれは出来た筈だ。
自身は薄々感じている。自分が素直に喜べない理由。
自分はあの二人を知っているから。
あの二人の笑顔を知っているから。
何より、イザークと一緒に居て幸せそうなクレアを見てしまっているから。
自分は何時の間にかクレアの幸せを後押ししているようだったから。
いくらイザークの事が好きでも、それが他の人の不幸の上に成り立っているのなら本気で望めない。
自分に優しくしてくれた人が泣いているのに喜ぶなんて事、出来る訳が無い。
クレアの事が好きになれなくても、それは出来る訳が無いんだ。
「・・・?」
「・・・え?」
「ちょっと、またぼーっとしてるよ。駄目でしょ、此処は戦場!」
「ああ、そう・・・だね。じゃ、、この後のシミュレーション頑張って」
「任せてよ!も嬉しさのあまり失敗しちゃ駄目だよー!」
は笑顔で去っていく。
は何も知らない、悪くない。
悪いのは全部自分なんだ。イザークを好きになってしまった自分。
・・・これ以上後悔なんて、したくなかったのに。
相変わらず下を向いて歩く。良くとかにそれは悪い癖だと注意される。ごもっともだ。
だからあたしは良く人にぶつかる。
ほら、また。
「痛っ・・・!」
「あ、ごっ、ごめんなさい・・・!!」
ぶつかった相手はまさかぶつかるなんて予想もしてなかったのか、結構派手にこけたようだった。
だからあたしは急いで手を伸ばす。
本当、この癖は早い内にどうにかした方が良い。
「・・・有難う」
「あ・・・クレア、さん」
「・・・・・・?」
「・・・どうしたんですか?・・・泣いて」
「ああ、此れ?べ、別に何でもないんだけど・・・ね、うん・・・只・・・」
ぶつかったのはクレアだった。
この人とは良くぶつかる。そういう運命にあるのかもしれない。只が不注意なだけだが。
クレアが泣いている理由は知っている。知ってて聞く自分は相当性格が悪いんじゃないかと、少し自己嫌悪に陥る。
自分から聞いたくせに、クレアの次の言葉が来なければ良いと思った。
両手で、耳を塞いで声なんか聞こえなくしてしまえれば良いのに。
「・・・イザークに、振られちゃった」
笑顔で何でもなさそうにそう答えたクレアを見て、の胸は激しく痛んだ。
いくらイザークの事が好きでも、はクレアのこんな顔を望んだ訳じゃないんだ。
他人の不幸なんて見たくない。不幸なのは自分だけで充分なんだ。
ましてやはクレアこそ好きになれなかったものの、彼女の笑顔は好ましかった。
見ていてこっちも幸せになれるような、そんな彼女の笑顔。
それが壊れるなんて、一体誰が想像出来ただろう。
「・・・クレアさん・・・」
「ば、馬鹿だよねあたし・・・婚約していたからって、浮かれててさ。あたしだけが、イザークの事好きなだけだったのに・・・!!」
「・・・・・・・」
泣いているのに、顔だけは笑っている。
でも、それはの好いていた笑顔じゃない。今のクレアの笑顔は、彼女なりの意地なのかもしれない。
頑張って作っている笑顔を見て、の胸はより一層痛みを増す。
・・・どうして、イザークはクレアを振ったんだろう。
・・・どうして、自分は喜びもしないのに悲しめないんだろう。
今が出来る事は、只管泣き続けるクレアの傍に居てあげる事だけだった。
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あとがき(言い訳)
び、微妙な展開・・・!どろどろですね!
今回イザ様出番無しですか!名前だけですか!
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