あたしが涙を流す事に意味はあっても効果は無い。

泣いたって如何にもならない事なんて、そんな事百も承知だ。


体中の水分がなくなるんじゃないかって思うぐらい流したあたしの涙を代償にしたとしても、
神様はあたしに彼を還してはくれない。







彼の奏でる旋律が、頭に焼き付いて離れない。

































Nicol


























ニコルが死んだと知ったのは、二日前の事だった。








ニコルは彼の友達を庇って死んだそうで。

あたしは初めその事実を受け止める事ができなかった。



それからニコルのご両親が彼の写真を見ながら泣いているのを見て、
初めてあたしはニコルは死んだんだ、と分かった。


あたしはその場に立ち尽くした。


泣こうにも涙が出てこない。
何かしようにも何も出来ない。


それはあたしがその時はまだニコルが死んだという事実をしっかりと受け止めていなかったからだろう。

表では分かっているフリをしていても、心の奥底ではあたしはその事実を否定していたんだ。


実は死んだなんて嘘で、またあたしを驚かそうとしてるんだ。

そんな場違いな事を考えていた。
そんな事を考えていなければあたしはきっと正気を保ってなどいられなかっただろうから。





目の奥で、涙が必死に出るのを拒んでいたのを感じた。















































小さい頃、幼馴染だったニコルとあたしは毎日のようにお互いの家で遊んだりしていた。



堅苦しい家の中で今にも息が詰まりそうな、そんなあたしの唯一の安心出来る存在は彼だった。
自覚はしていなかったものの、あたしは毎日ニコルの笑顔に癒されていたんだ。

あたしが何か失敗すると怒ってすぐに手を上げるお母様。
『家の為』とか言って自由を許さないお父様。

辛くて、何度も涙を押し殺した日々。

そんなあたしに元気をくれたのは他ならぬ彼。











『ニコルってピアノ上手いよねー』

『・・・そうですか?にそう言って貰えると嬉しいですよ』

『ニコルは将来ピアノを弾く人になるの?』

『そうですねぇ・・・そんな人になりたいです』

『ニコルだったら絶対なれるよ!あたし応援してるから!』

『ありがとうございます。は将来何になるんですか?』

『あたし?あたしはそうだねぇ・・・・ニコルのお嫁さん!』

『僕のですか?』

『・・・厭?』

『厭じゃないですよ!その・・・嬉しいです』

『ホント!?じゃああたしニコルのお嫁さんに相応しい人になるよう頑張るね!』



自分の家の中で笑った事なんて数えるほどしかなかった。

だけど、ニコルといる時は。
彼といる時は何時でもあたしは笑顔だった。

































『ど、どうしよう・・・』




少し涙が混じった目で見つめたあたしの手には、破れた楽譜が握られていた。

白地の紙に黒で書かれた音符。
それは綺麗に数枚に別れてしまっていた。


その楽譜は、ニコルが現在進行形で練習している発表会で弾く曲のものだった。


風か何かで床に落ちた楽譜をあたしが踏んでしまい、派手に転んで。

それで、今に至る訳だ。


破れるだけでなくあたしが踏んでしまった所為もあって、楽譜はぐちゃぐちゃになっていた。
それは見るも無残な姿に。



『ニコル・・・怒るよね・・・』



当然だ、自分が今現在練習している曲を破かれたのだから。
ニコルが怒った姿なんて今まで見た事がないけれど。

だからこそ、余計に恐いのだ。



ニコルがあたしに出すお菓子を取りに行っている間、あたしはテープか何かないかと必死で探していた。
勿論、テープで貼るだけで元に戻る訳なんかないけれど、せめてもの償いとして。


そんなあたしの思いとは裏腹に、あたしが居る部屋のドアが開くと共にニコルの可愛らしい声が響く。




、さっき大きい音がしましたが何か・・・』

『え、あ・・・な、何もないよ。大丈夫』




つい、咄嗟に嘘を吐いてしまった。

破れた楽譜を背中に隠し、平然を保つ。



『クッキーはお好きですか?』

『あ、うん・・・・大好き』

『良かった。今日はクッキーしか無かったんですよ』



机の上に置いてあった楽譜の事なんてすっかり忘れているのか、ニコルは何時ものように笑顔で言った。



しかし、そんな状態も長くは続かなかった。

あたしの異変に気付いたニコルはついにあたしに楽譜の事を聞いてきた。



『あれ、机の上にあった楽譜・・・知りませんか?』

『え、楽譜?し、知らないよ』

『・・・そうですか』

『か、風か何かで飛んでったりしたのかも、よ・・・?』

『あ、窓開けてましたからね・・・後で探しておきます』

『う、うん』



ごめん、ニコル。
多分と言うか絶対、その楽譜はもう二度と元の姿で戻って来る事はないよ。 ごめん、本当ごめんなさい。




『そう言えば今度ピアノの発表会があるんです』

『そ、そうなの?』

『はい。是非も来て下さいね!』

『うん、絶対行くね!』

『でも・・・その前に楽譜を探さないといけませんね』

『あ、そう・・・だね。あれ無いと練習出来ないもんね』


ニコルが持ってきたクッキーを頬張りながら、楽譜の話になって、あたしの顔は急に暗くなった。


『・・・?どうかしましたか?』

『あ・・・・・え・・・っと・・』

?』



不思議そうにあたしの顔を覗き込んでくるニコル。

あたしは腹を括り、口を動かした。


『・・・・・ごめんニコル!!』

『え?』

『楽譜・・・』


少し下を向きながら、あたしは背中で隠していた破れた楽譜をニコルに差し出した。


『これは・・・・』

『ごめん・・・ごめんなさい。床に落ちてるのに気付かなくて、踏んじゃって、それで・・・』

・・・・』

『やっぱり怒るよね・・・今練習してる曲のだから余計に・・・』

『・・・・・』


あたしが下を向きながら謝ると、ニコルは何も言わなかった。

ああ、やっぱり怒ってる?
そう思って恐る恐るニコルの顔を覗き込んだら、その顔は予想してたものとは違っていた。
普通、今練習してる曲の楽譜をぐちゃぐちゃにされたりなんかしたら、いくら幼馴染だからって怒って良いのに。


なのに、彼は。 酷く優しい顔で、破れた楽譜をパズルのように並べた。


『ニコル・・・?』

『・・・・・』

『・・・ごめん』

『・・・別にが謝らなくても良いんですよ』

『だって・・・・』

『床に落ちてたのだって僕が窓を開けてたからだし、並べて貼れば元通りですし』

『・・・だけど・・・』

『だからは気にしなくて大丈夫ですよ』

『ニコル・・・怒ってないの?』

『怒ってませんよ』

『・・・ごめんね』


その後は、暫くお互い無言だった。

いくらニコルが許してくれても、あたしの心はもやもやしていた。





だって、あたしは知ってる。

彼にとって楽譜がどれだけ大切なのか。















あたしが破れた楽譜をテープで貼ると、ニコルはその楽譜を取った。

顔を上げると、彼はピアノの前にいた。





『・・・綺麗・・・』



ニコルがその楽譜の曲を奏でると、あたしはあまりの綺麗さにその曲に聴き入ってしまった。

厭な事も何もかも、全て忘れてしまいそうな。
犯罪者が犯した罪でさえ忘れてしまいそうな、そんな綺麗な曲。




曲自体綺麗だった所為もある。

だけど、あたしが聴き入ってしまったのは。



それは多分、ニコルが弾いている曲だったから。







ニコルが曲を弾き終わった時、あたしの頬には涙が伝っていた。




!?どうしたんですか!?』

『ごめん・・・・』

『え?』

『ごめんね、ニコル・・・・』

『そんな・・・僕は別に気に・・・』

『ごめんね・・・・・』



あたしの口からは謝罪の言葉しか出てこなかった。

何百回謝っても、何千回謝っても足りない。




こんな美しい曲を自分が少しでも汚してしまった事が。

それが、何よりも許せなかった。











『絶対、優勝出来るよ』


本当はそう言いたかった。けど、涙で滲んだあたしの顔はその言葉を言わせてはくれなかった。


ただ、涙だけが止まる事を知らずに流れていた。
















































『軍に・・・・入る、の?』

『・・・はい。その・・・ユニウスセブンのニュースを見て・・・』

『そう・・・。ニコルが決めたんなら・・・頑張って』

『・・・

『ん?』

『・・・大丈夫ですよ』

『・・・うん』



ザフトに入る。
それは、彼自身が決めた事。

なら、あたしに反対する権利なんて無いんだ。



『絶対・・・・死なないでね』



保証の無い約束。
まだ幼いながらも強い瞳をしたニコルと交わした、硬い約束。指切り。

あたしはその時の事を今でも昨日の事のように鮮明に覚えている。



『・・・ええ。僕はを残して死んだりしませんよ』




女性顔負けの美しい容姿をした彼の背中は、すごく男らしく、逞しく見えた。























ブラウン管越しに見る地球軍とザフトの戦闘風景は、何時もあたしをどきっとさせる。



そう、ニコルが自分から選んだ場所はあたしの居るプラントではなく、何時何処で誰が死んでも可笑しくない戦場なんだ。


違うと分かっていても、今撃たれたのはニコルじゃないのかって。
あたしの心臓は高まるばかりだった。



だって、ザフトで赤を着るぐらいの実力なら、敵に余計に狙われたりするんじゃないの?
戦場で良い成績を残すのは本人や上司にとってこれ以上無いくらい嬉しい事だったとしても、あたしはそれが哀しくて堪らなかった。



ニコルが今の位にいるのはそれだけの地球軍側の犠牲のおかげであって。

ニコルが殺めた人の家族はニコルを憎んでいるだろう。
そして、その憎しみがいつか彼自身を死に至らしめるかもしれない。



そんなの、絶対厭だ。


厭厭厭厭厭。

今すぐにでも止めて欲しい気持ちでいっぱいだった。












久しぶりのニコルが所属するクルーゼ隊の休暇。

その休暇でニコルが帰って来るのが、今のあたしが何より安心する瞬間だった。



『・・・ニコル!!』

『・・・

『ニコル・・・・良かった・・・今回も無事で・・・』



久しぶりに見た彼は、少し身長が伸びていたようにも思えた。
そしてあたしは、ニコルが無事だった事を確認して自然に涙が流れた。



『もう・・・・厭だよあたし・・・ニコルが戦うのなんか・・』

『・・・・・・』




ニコルが戦う事を好まないのは知っている。
ならどうしてニコルは戦うのか。
それも、何となくは理解しているつもりだった。






ザフトの為に。
祖国の為に。







『大丈夫・・・大丈夫ですから、僕は・・・』

『ニコル・・・・』


ニコルがあたしを安心させようと発する言葉は逆にあたしを切なくさせる。

その言葉は何時あたしを裏切るか分からないから。





ニコルは何も言わず、泣いているあたしを彼のピアノを置いてある部屋へ連れて行った。


『あ・・・・・』


そこでニコルが弾いた曲は、何時か小さい頃あたしが破いた楽譜の曲だった。



『・・・、憶えてますか?小さい頃、がこの曲の楽譜を破って泣いてそれで・・・』

『・・・うん、憶えてる。あたし、いっぱい泣いてたよね・・・』


ニコルはまだその楽譜を持っていたんだ、とか聞かずに、あたしは彼を見つめた。

ニコルはその曲を弾き続けた。 あたしはその小さい頃のように、またその曲に聴き入った。 そして、また涙を流す。

その涙は恐らく小さい頃流した涙とは違う。
きっと、あたしは何処かで悟っていたんだ。




もう、この瞬間が戻って来る事は二度と無いのだと。



そんな、涙。















































『・・・もう、行っちゃうの?』

『・・・ええ、明日からはまた仕事ですから』

『・・・そう。仕事だもん、ね・・・』


一夜を共にしたニコルが今、荷物を持ちザフトの軍服を着て目の前に立っている。



今度は何時会えるのかすら分からない。

そう思ったあたしは涙が零れそうだった。




『え?』


名前を呼ばれたあたしは、何かと思って俯いていた顔を上げた。

すると、口に柔らかい感触が広がった。

それはニコルの唇だと、すぐに理解して顔が赤くなった。


『大丈夫ですから』

『・・・うん』

『・・・また、帰って来ますから』

『・・・うん』

『貴女のために、ピアノも弾きます。だから、泣かないで』


ニコルの手があたしの頬に触れる。
そして、零れかけた涙を親指で拭う。


『・・・絶対、死なないでね』

『・・・はい』


最後に、彼は笑顔を見せた気がした。




そう言ってニコルはあたしに背中を向けて走り出した。

あたしはただ、その背中を見届けるしかなかった。









それが、あたしが見た彼の最後の姿だとも知らず。



















































『う、そ・・・・』





あたしの目は大きく見開いた。


そんなのどうでも良い。あたしはそれより自分の耳を疑った。










『ニコルが死ん、だ・・・?』










自分でも何を言っているのか分からなかった。






だって、ニコルが死んだなんて。

そんなの、嘘。

だって、言ったじゃない。


大丈夫だって。


・・・言ったじゃない。










『・・・・嘘!!』















あたしはニコルの家の、ニコルのピアノの部屋に駆け込んだ。


そのピアノはニコルが弾いて以来何も変わった所は無く。

ただ、何も無かったかのように部屋の真ん中にその存在を置いていた。





そして、その上にはあたしが破いてぐちゃぐちゃになった楽譜。



『嘘・・・・だよね・・・ニコルが死んだなんて・・・』


涙は全く出てこなかった。

可笑しいね、前は泣きまくってた癖にこういう時に泣かないなんて。





可笑しいよね、この前ニコルは元気に戻って来たのに。










・・・可笑しいよね。









そっと、あたしはそのテープで貼り付けられた楽譜を手に取る。







『そう言えば今度ピアノの発表会があるんです』




『是非も来て下さいね!』







楽譜を見て思うのは、ニコルの顔。



ニコルは死ぬ前何を思った?

やっぱりピアノの事?

ねぇ・・・・





























今、あたしはもう持ち主の居ない彼の部屋に来ている。

ニコルの両親は今クルーゼ隊長から話を聞いている。





一人ニコルの部屋に立っているあたしは酷く、冷静だった。

涙はやっぱり出なかった。








ニコルの部屋は十五歳の、年頃の男の子の部屋とは思えないくらい綺麗に片付けられていた。

そして視界と共にふわっと入る彼の匂い。
それは懐かしい匂いだった。


綺麗に畳んである彼の軍服。
ゴミなんて一つも落ちていない床。
無駄なく纏めてある彼の楽譜。


全て、ニコルの物だった。




ふとテレビの上を見てみると、写真楯が二つ並べてあった。


一つはニコルの戦友と思われる、青い髪をした少年と一緒に写っている笑顔の彼。

もう一つは、何時撮ったのかは分からないけど、最近のあたしの写真。
その写真の中のあたしは、何も知らないように笑っていた。










「・・・ニコル・・・・・!!」









その両方の写真を手に取り、そこで初めてあたしは涙を流した。









「う・・・・・・ああぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁん!!」










すぐにニコルが庇って死んだ、その庇った相手がこの少年だと分かった。

それは直感で、この人はニコルの大切な人なんだと。



彼の夢、願いが走馬灯のようにあたしの頭を過ぎった。












「ニコル・・・ニコル・・・・・・ニコルぅ・・・っ!!」













ねぇ、ニコルは最期に何を思ったの?

この少年の事?

それとも、やっぱりピアノの事?



ねぇ・・・・・・















































++++++++++++++++++++++++++++++++++
あとがき(言い訳)

ニコルの追悼夢が書けて良かったです。
ニコルが死んだ瞬間泣いてしまいました。
本当、彼は大好きだったんですごく悲しいです。
あのピアノ大好きな所とか、ちょっと腹黒い所とか、全部大好きでした・・!
彼らしいと言えば彼らしい死に方でしたね。アスランの為に。
ニコルが天国で今も笑っている事を願います。
お疲れ様でした。















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