漆黒に包まれるもの
暑くも寒くもないこの秋という季節は本当に大好きだ。
季節事態も勿論好きだけれど、あたしはこの睡眠欲をそそられる気温が一番好きだ。
おまけにあたしの席は窓側だ。暖かい日差しに包まれて、睡魔に襲われるのはあたしだけじゃないはず。
教壇の上で数学教師が訳の分からない公式を薀蓄述べている声をBGMに、あたしはうとうとする。
BGMにするには厭な音楽だけれど、つまらないそれを聞くよりは心地良い眠りにつきたいのだ。
あと一歩で寝てしまう、という所であたしのそれは中断される。
なんだろうと思えばトントン、と、右側からあたしの机の端を叩く音がした。
「すいません、教科書を忘れたので見せてくれませんか」
「え?あ、ああ、どうぞどうぞ」
瞼の重いあたしの視界に飛び込んできたのは綺麗な顔立ちをした人物だった。
それのせいか、あたしの目は一気に覚めたような気がした。
この人は確か、この前転校してきた人だ。
まだ慣れてないのかな、教科書を忘れたようだった。
「えーと、確か」
「六道骸ですよ。転校生の名前はちゃんと覚えましょうね、さん」
「ああ、はい、どうもすいません」
トン、と机をくっ付けてその真ん中にあたしの教科書を置いた。
そんな事は特に気にもせずあたしは再び眠りの世界へ入ろうとしたら、隣で小さく笑われた。
それは流石に気にもなるので、なに?と尋ねたら目が合った。
一瞬だけ、六道君の左右の瞳の色が違うように見えた気がした。
てか、転校してきてからこの人が授業受けてるの初めて見たよ。
きっと前の学校でもサボり魔だったんだろうな。
「数学、苦手なんですね」
「え、どうして」
「空欄が多いし、書いてる所もほとんど間違ってます」
「・・・・・」
教科書貸していきなり駄目出しされた。
確かに図星だけれど、それに対してああそうですか、どうもありがとうと言えるほどあたしは温厚な人柄ではない。
なら自分は完璧に解けるのか、一問たりとも間違えはしないのかと彼に問い質したい。完全に屁理屈だけれど。
少しムッとしたので、あたしはそれを表情に出すことなく顔を机に伏せた。
ああ、早くこんな授業終わってほしい。
「寝ているともっと分からなくなりますよ?」
「もう既に意味不明なので諦めてます」
窓側特有の暖かい日差しを受けて、あたしは窓越しに運動場を眺める。
運動場では他の学年が体育をしていた。いいなあ、楽しそう。
隣からシャーペンを動かす音が聞こえたので、六道君はどうやら真面目に授業を受けてるらしかった。
真面目なんだったら、初めからきちんと授業に出れば良いのに。
そう思っていると、待ち侘びていたチャイムの音が響いた。
「教科書、どうもありがとうございました」
「いえいえ。次からは気を付けてね」
付けていた机は離され、彼の机は元の位置へ戻る。
授業が終わると六道君は教室から姿を消した。
教科書を閉じようとすると、あたしの教科書には見覚えの無い字が綴られていた。
あたしが書いた間違った解答の隣にどうやら正しい解答と、その解き方が丁寧に書かれていた。
その字の持ち主は消去法でいけば、六道君のものだった。
六道君は、次の授業にもその次の授業にも出席しなかった。
「、あんた羨ましいぞこのやろう」
昼休み、あたしの一番好きな時間帯。
昨日の夕飯の残りのエビフライを口に含んでいると、唐突にに言われた。
「なにが?」
「今日、授業中六道君と席くっ付けて喋ってたでしょ!キィー、羨ましい!!」
「喋ってた訳じゃないけど、そうかなあ・・・」
「そうだよ!知らないの?六道君すごい人気あるんだよ!あたしファンクラブ入ってるんだから!!」
あたしの他にも六道君ファンの子がを恨めしそうな目で見てたよ、と言われた。
ファンクラブって・・・そんなにモテてるんだ、あの人。
確かに、端正な顔立ちだなあとは思ったけれど。
正面でああ、出来るものならあたしがに代わりたかったと言っているを尻目に、お弁当を平らげた。
放課後部活へ行ったら、教室にクラリネットを忘れたことに気が付いた。
すいません、楽器取ってきますと言って自分の教室へ向かって足早に駆けていく。
ほとんどの生徒が部活動へ行っていて不気味なほどに静まり返った廊下は少しだけ怖かった。
教室に着き、机の中へ手を伸ばすとお目当てのそれはすぐに見つかった。
分解してケースに収めてあったクラリネットを組み立てていると、ゆっくりとドアの開く音がした。
顔を上げれば、そこには見覚えのあるとても綺麗な顔立ちをした人物が立っていた。
「・・・おや」
「・・・六道君?」
数学の授業以来姿を見せない彼は、もう帰ったのだとばかり思っていた。
忘れ物でもしたんだろうか。
視線を落とすと、彼の手には小さな紙袋が握られていた。
「六道君も忘れ物?」
「いえ、そういう訳ではありませんが、ちょっと」
組み立てている途中のクラリネットに視線を戻すと、彼の足音がこちらへ近づいてくる音が聞こえた。
早く組み立てを終えて教室を去りたい一心だったけれど、それは出来ないような、そんな雰囲気だった。
「クラリネット、吹くのですか?」
「うん、部活でやってるから」
「そうですか。懐かしいですね」
「六道君もクラリネット吹くの?意外・・・」
「僕ではありませんが、昔の仲間でクラリネットを吹いていた者が居たので」
「ふーん」
そうだ、せっかく教室に戻ってきたんだから教科書でも持って帰ろう。
テストもあと二週間弱だし、今からでも苦手な数学を頑張ってみよう。
「そういえば今日は数学の時間ありがとう。解答欄の説明、先生より分かりやすかったよ」
「そうですか、それはありがとうございます。そうだ、これを」
徐に六道君が彼の持っていた紙袋からなにかを取り出した。
綺麗な包装紙に包まれたそれは、いかにも高級店で買ったかのような気品が漂っていた。
というか、高級店なのだろう。紙袋に印刷されたロゴはあたしでもよく知るブランドだ。
「教科書を貸して頂いたので、お礼をと思いまして。ティーカップでよければ受け取って下さい」
「え・・・」
「おや、お気に召しませんでしたか?なら別のと取り替えて来ますが」
「え、いや、滅相もございません!てか、え・・・えええええ!?」
え、ええ、なんだこの人!
教科書貸したくらいでお礼に高級ブランドのティーカップって・・・!
お礼に物を渡す事態しないのに、しかもこんな値段も想像したくないようなものを・・・!
思考回路が遮断されそうです。てか、もう既にされてる気がする。
何時の間にかあたしの手には包装紙に包まれたティーカップの箱が握られていた。
「あ、あの、もらえないですよこんな高級なもの・・・!」
「ほんの気持ちなので値段は気にしないで下さい」
「え、あの、でも!」
「僕はティーカップなんて必要ありませんから、もらって頂かないと僕も困りますよ」
そんな表情されるとこっちも困るんですけど、とは流石に言えない。
何かを言おうとしたけれど、それも止めた。てか、忘れた。
でも金銭感覚が違うとはいえきっと六道君はあたしのためにこれを選んで買ってくれたのだろう。
だからあたしは少し躊躇いながらもその高級なプレゼントを受け取る事にした。
「・・・じゃあ、是非家で飾らせていただきます」
「飾るんですか」
「使えないですよ、割りそうで・・・!」
「クフフ、そうですか」
わあ、この包装紙見れば見るほど綺麗だな・・・!
こりゃあティーカップを飾る前に包装紙すら開けれないかもしれない。
思いっきり貧乏性だなあ、あたし・・・。
そんな事を考えていると、六道君はくすくすと小さく笑った。
「どうかした?」
「いや・・・」
「?」
「明日からも、教科書を忘れてきたくなりました」
季節は秋の初め、教室へ吹き込む風がさらさらとあたしと六道君の青い髪をすり抜けていく。
あたしの心が彼の色に染まっていきそうな、そんな気がした。
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あとがき(言い訳)
骸さんは紳士的だと良いと思います。
ちなみにティーカップは授業サボってる間に買いに行ってます